2024年7月下旬、北海道に一人旅してきました。その記録です。
今回は千歳→輪西→東室蘭→札幌コース。
北海道で涼みたい&小さい頃に住んでた場所に行ってみたいという旅です。
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羽田10時出発なので早起き。
朝食はカフェラテだけ。あとでたっぷり食べるつもり。
今回は品川駅で京急乗り換えではなく、浜松町からモノレールに乗ってみた。
ホームはとても並んでたけど座れました。ラッキーだったかな。
モノレールは本数多いし、1本待てばまず座れそう。
今回は1泊なのと、空港での預け荷物の引き取り時間をなくすため、キャリーケース持たずに肩掛けバッグだけにしてみました。少し重いけど、駅のロッカーを有効に使いたい。
搭乗口が、保安検査通った直後くらいに変更。アナウンスで、自分の飛行機のことだ!と思った後、メールやアプリ、SNSのメッセージでたくさん連絡が来た。結構こうした変更はあるのだなあと、飛行機初心者ならではの感想。
今回贅沢にもプレミアムクラス。寝不足だったので、離陸したなぁと思ったら寝てしまったみたいで、目が覚めたら朝食を配り始めていた。
楽しみにしていた朝食。

パストラミポークのデニッシュ&蓮根と紅鮭、野菜のサンドイッチ
青豆とキャベツのスープ、白桃ゼリー
飲み物はコーヒー、食後に緑茶。マカロン一つ付いてきた。

美味しかったです!
千歳空港には予定時刻どおり到着。輪西までは、みどりの窓口で発券してもらいました。
自販機だったら直近の列車の出発時間内に買えてなかったなぁ。しかし、最短時間を選んで発券してくれたので、大忙し。
千歳空港で特急エアポートに飛び乗り、南千歳。4分後に出発予定のすずらんに乗り換え。

南千歳駅での乗換えは危うかった。4分しか時間なかったのに、スマホの乗り換え案内見てもホーム番号の表示が出てこなくて、降りたホームでも案内はアナウンスのみ。
階段登って1番線に行き、電子掲示板見つけて乗る予定のすずらん号を確認。あ〜ホッとした。
すずらん号は下り線だったためか、平日だったためか、とてもすいてました。

苫小牧や登別を通過。懐かしい名前。久しぶりに北海道の懐かしい地名をいろいろと思い出す。
沼ノ端/苫小牧/白老/登別/幌別/鷲別/東室蘭/輪西
この先は、御崎/母恋/室蘭、とつづく。
千歳空港から1時間8分。そんなに遠くない。
朝6時ごろに起きて、13時ごろには懐かしい輪西に着くんだからすごい!
苫小牧まであっという間。海沿いに出る。
駅前すぐに東横インがある!東横インの看板見つけるだけでなぜかホッとする私。
この線は室蘭本線。
白老駅が近づくと、アイヌ語での車内アナウンスがあった。
中国語でも韓国語でもないなぁと思っていたらなんとアイヌ語なのだ!初めて聞きました。
登別。ノボリベツ。あ〜懐かしい響き。いつか温泉入りにここで降りたい。

登別を出て輪西まであと20分だーと思っていたら、止まらないはずの富浦で臨時停車。理由は分からず。
まもなく、下り電車の安全点検とのアナウンス。
反対路線の函館→札幌行きの特急北斗が、この先で鹿と線路内で接触して安全点検を行なっているとのこと。あぁ、北海道!
約15分後に運転再開。

その後、幌別、鷲別、東室蘭と、懐かしい響きを楽しみながら到着した輪西駅は無人駅。

OMG…私の知ってる輪西と違う。。思っていた以上のさびしい駅の様子に、胸を突かれる。







輪西駅について
(以下、Wikiedia 「輪西駅」「東室蘭駅」「日本製鉄北日本製鉄所」「北海道炭礦汽船」を参考に、稚拙な要約…)
輪西駅の場所には、明治25年開業の北海道炭礦汽船室蘭駅があった。炭鉱の積み出しのため鉄道と港の整備をする中で開設された。鉄道が西側に伸ばされて室蘭駅ができることに伴い、明治30年に輪西駅に改称された(初代輪西駅)。大正9年に、初代輪西駅が東方向、現在の東室蘭駅の場所に移転された。この移転は、輪西製鉄所の拡張計画に伴うものだったようです。輪西駅があった場所には、駅は無くなってしまったけれど、その後、市街が広がったことで、請願を受けて、この場所に、昭和3年、北海道省管轄の輪西駅が設置された。
一方、大正9年に現在の東室蘭駅がある場所に移転した初代輪西駅は、昭和3年に東輪西駅に改称され、昭和6年に東室蘭駅に改称された。
駅は産業とともにあり、経済の行方に左右されるのね。
駅のすぐ近くに室蘭製鉄所…今は、日本製鐵北日本製鉄所…がありました。2022年に、室蘭製鉄所と釜石製鉄所(東日本製鉄所釜石地区)と統合してこの名称になったよう。
輪西駅のすぐ横の踏切を北に渡るといきなり大きな門があり、その奥の製鉄所の広大な敷地に直結。


周りから眺めたかったけど、踏切を渡るといきなり敷地で、門前から覗き込むだけになってしまった。
旧室蘭製鉄所は、明治42年の創業が始まり。北海道炭礦汽船輪西製鐵場として始まったようです。もともとは炭鉱開発、そして製鉄…という流れかな。
室蘭製鉄所は、昭和9年に日本製鐵、昭和25年に富士製鐵、昭和45年に新日本製鐵のもとにありました。富士製鐵、新日本製鐵時代にこの辺りに住んでいた私は、賑やかな室蘭、輪西が記憶にある。当時はたくさんの従業員やその家族が住んでいて、会社が運営する富士幼稚園に通っていました。会社主催の運動会やスキー合宿にも行った覚えがあります。小学校も一学年8クラス以上あったような気がする。住居は、最初は輪西地区、その後に知利別方面の社宅に移転したのだと母から最近聞きました。輪西近くはかなり空気が汚れていて、知利別方面はもう少し環境が良かったと言ってました。
(以下、日本製鐵のHPを参考)
昭和25年に富士製鐵輪西製鉄所が発足。翌年に室蘭製鉄所に改称。昭和45年に新日本製鐵室蘭製鉄所。平成24年に新日鉄住金が発足。平成31年に日本製鐵に商号変更。令和4年(2022年)に室蘭製鉄所と東日本製鉄所 釜石地区が統合、北日本製鉄所が発足。北日本製鉄所 室蘭地区となる。
輪西駅から製鉄所と反対方面、南側の山側に真っ直ぐな上り坂があった。ここで、「あぁ、ここだったか」と思ったのは、幼い頃迷子になり、坂道をどんどん登った記憶。自分は迷子になったつもりはなかったのだけど、かなり騒動になったようだ。

この坂道の向こうは海岸だ。イタンキ沖につながる。
一人でどんどん歩いた後に、たくさんの人に歓迎されて抱っこされて、みんな大喜びの笑顔だった記憶。母によると、北海道の前に住んでいた愛知で、同じような坂道の上に自宅があって、私は坂道を上って自宅に帰るつもりで歩き続けたのではないか、ということ。小さい子がいなくなって、坂を登っていったと聞いたとき、その向こうにはイタンキ沖があって、母はどんな気持ちだったかと改めて思う。
以前住んでいたと思われる住所には、地図上ではもう社宅はないようだ。でもとにかくその住所地あたりに立ってみたい。
ツルハドラッグでトイレ借りてカフェオレ買った。

レジのお姉さんと少し会話。大昔、小さい頃に住んでましたと言ったら、昔は賑やかでした、昔と違って何もなくなってる、寂しいと言ってた。
雨がほんの少し。どんよりしたお天気で傘をさしたり閉じたりしながら歩く。
輪西駅周辺から、東方向、住んでいたらしい住所地は、今はピッタリ一致する場所が見つからない。おそらくこの辺かなと思われる場所近辺には、製鉄所の施設と思われる建物。この辺りの敷地を会社が所有していて、社宅もあったかもしれません。

近くには、輪西神社という神社があります。
小さい頃の写真の中に、七五三のときの家族写真があって、場所は神社。神社名はわからない。両親も忘れてしまっている。もしかしたらと考えて、輪西神社を見に行ったけれど、写真と一致する背景はなく、転居先の知利別町の神社だったかもしれない。


でも、輪西神社は行ってみてよかったです。
興味深かったのは、輪西神社は鉄鋼産業と深く関わっていたことが、現地の説明由緒書きの掲示から分かったこと。
神社の歴史は古く、昭和4年に遡る。製鉄所が元気だった頃は、会社やそこで働く人たちに支えられて、賑やかだったのではないか。
「輪西神社 由諸記」の看板。

これによると、
一、由緒
「大正8年12月 北海道製鉄(株)(現室蘭製鉄所)と(株)日本製鋼所が合併し、輪西工場と称した時代 当神社は (株)日本製鋼所室蘭製作所の守護神 御傘神社の屯営として昭和4年7月現在の地に御社殿を建立 同年9月22日御祭神を遷座、翌23日 第1回大祭を執行す。
昭和6年10月 輪西工場が(株)日本製鋼所と分離し 輪西製鉄(株)成立の後、当神社は、「輪西神社」と奉称し、輪西製鉄(株)、並びに従業員の守護神として祭られ、従業員を以て神社講を組織、祭典を執行す。
昭和11年 神社講を敬神奉賛部と改称、この年 御神輿、並びに付属品一切を購入する。昭和20年10月 敬神奉賛部を解散、その後は日本製鐵(株)輪西製鉄所(現室蘭製鉄所)並びに従業員の守護神として 祭典、運営を行い、御神輿渡御は 輪西町 来馬町 鷲別町 高砂町 知利別町 中島町 港北町を巡幸した。昭和48年3月 宗教法人化を申請、許可となり 輪西神社奉賛会を組織、地域住民の氏神として、又室蘭製鉄所並びに協力会社の守護神として祭典、運営を執行し現在に至る。」
室蘭製鉄所と書かれた石があったり、「寄進 新日本製鐵 室蘭協力会」と書かれた水場があったり。


「昭和4年 労働者一同」とある灯籠もある。昭和4年は、ここに社殿ができた当初に置かれたものだ。


現在よりずっと労働環境が厳しく、労働災害で亡くなる方も多かっただろう。労使ともに、切実な思いをもって神社を創建したことだろう。
由緒書きを見ると、創建時には、御傘山神社の「屯営」(兵士がたむろする場所などを指す)として社殿として建立されている。日本製鋼所と合併していたからだ。明治41年に日本製鋼所の社運発展と安全創業を祈念して創建された御傘山神社(輪西駅の隣りの御崎駅と次の母恋駅の間にある)だが、そこに繋がる社殿として、輪西神社は創立されたとある。日本製鋼所と分離後は、輪西神社と称されるようになったことがわかる。
だから、「現室蘭製鉄所」は、大正8年の北海道製鉄時代に日本製鋼所と合併したが、昭和6年には日本製鋼所と分離。室蘭製鉄所は、北海道製鉄→輪西製鉄→日本製鉄の流れを汲んでいるのだ、と由緒書きは強調しているようにも読める。
日本製鉄は、日鉄法のもとで昭和9年(1934年)に合併して設立された会社。戦後の財閥解体の過程で昭和25年(1950年)に4社に解体、うち2社の八幡製鉄と富士製鐵は昭和45年(1975年)に合併して新日本製鐵になった。2012年に住友金属と合併し新日鉄住金となり、2019年に日本製鉄に社名変更。財閥解体から69年ぶりの名称復活で、関係者にとっては悲願が叶った瞬間だったことでしょう。




つづく。。

