【2024年7月 大阪ひとり旅】その3 大阪城

2024年7月中旬、夏の大阪にひとり旅してきました。その記録です。

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ルートインの朝食。品数があって健康的。とても満足。

朝はのんびりと、9時ごろにホテルをチェックアウト。荷物は預かってもらいました。大阪城を目指して、メトロ中央線に乗り、谷町四丁目下車。行く途中に、法円坂遺跡や大阪歴史博物館があるけど、大阪城に行ってから寄ることに。

まだ入り口近くだけど、お城にやってきた雰囲気に。

大阪城、とっても広い。

こんな石垣を、今のような重機もない時代に作るのって、本当にすごい。

立派な大手門。

正面両側の親柱の後ろ側にそれぞれ控(ひかえ)柱があり、親柱や控柱の下の部分は腐食するため、腐った部分を新しい材料で継ぎ足す、「根継ぎ」が施されているとのこと。で、この大阪城の大手門の右側の控柱の根継ぎされた部分の接合部、継手(つぎて)は、どうやって木を組み合わせたのかが、ずっと謎だったようで、一見不可能にしか見えない技法なのだそうです。

大手門の先に多聞櫓(たもんやぐら)。

天守閣に向かう順路の左側にある西の丸庭園へ。かつては豊臣秀吉の正室「北の政所(まんどころ)」が住んでいたこともあるという場所。

私の中で「北の政所」というと、これはもう、NHK大河ドラマ「おんな太閤記」の佐久間良子さんの「ねね」。そして秀吉、かつての木下藤吉郎は先日亡くなった西田敏行さん。懐かしいなあ、そして楽しく印象に残るドラマでした。

西の丸庭園からは天守閣が綺麗に見えます。

西の丸庭園は有料だけど、あまり人がいなくて落ち着いてゆっくり過ごすことができました。

この後、天守閣に登りたくて、近くまで行ってみたけど、激混み。外側から勇姿を眺めるだけとしました。平日に来ることができたら、そのときにはぜひ行ってみたい。

大阪城には、巨石ランキングというのがある。そのうち一番大きいのが桜門枡形の巨石。蛸石と呼ばれる巨石は36畳、108トンと推定されるとのこと。岡山県産の花崗岩ということで、どうやって運んだんだろう。。枡形という、お城を守るために石垣などで囲まれた四角い空間。この石垣を作るために、備前国犬島とか讃岐国小豆島の石が使われているのだそう。

天守閣の南側にある、旧第四師団司令部庁舎。大阪城が陸軍の拠点だったことを、つい最近まで知りませんでした。兵器の製造工場や倉庫などもあったとのこと。なおかつ「グレート大阪」と呼ばれる経済の中心地だった。大空襲で焼けた場所を赤く塗った地図を見たときは、重要拠点だった大阪が標的になって、一面焼け野原になったのだと思いました。

大大阪時代(だいおおさかじだい)は、1920年代から1930年代にかけて、大阪市大大阪と呼ばれていた時代のことである。この当時、大阪市は人口・面積・工業出荷額において国内第一位であり、当時の東京市を凌ぐ世界有数の大都市へと躍進した[1]。(Wikipediaより)

今は「ミライザ大阪城」として、おしゃれなお店などが中に入っていました。内部はクラシックな内装が残っていて、結婚式場にもなっているようです。

猛暑の中、可憐なお花たちがしっかり咲いている。

お堀には屋形船が。水の上は少しは涼しいのかな。

雁木坂(がんぎさか)を下って青屋門へ向かいます。かなり急な坂道。城内にこんなに高低差があると思わなかった。

雁木坂のある二の丸側から天守閣のある本丸側を見ると、すごい高低差。

この石垣の高さは国内随一とか。

極楽橋付近に来た頃には、雨模様になってきました。

この狛犬たちは、明の時代のもので、中国からやってきたそうです。

こちらの巨石は「京橋口枡形の巨石」城内2位の大きさの「肥後石」で産地は讃岐国小豆島らしい。筏(イカダ)でって書いてあるけど、その苦労はいかほどかと。。

京橋口を通って外へ出ました。南に向かうと大阪府庁や大阪府警察本部などがあり、この辺りが官庁街なのかしら。

次は、大阪歴史博物館に向かいます。

つづく。。

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