2024年7月中旬、夏の大阪にひとり旅してきました。その記録です。
********
大阪城の次は、大阪歴史博物館。

ちょうど、難波宮発掘開始70周年記念の特別展、「大化改新の地、難波宮」を開催してました。古代の都というと、平城京や平安京しか頭に残っていなかったけど、大阪にも古い都があったのかあ。
7世紀の中ごろに飛鳥から遷都、40年後に火事で焼けてしまうまでが前期難波宮、その後約40年後に同じ場所に宮殿が建てられたのが後期難波宮。
前期難波宮が焼けてしまった後、藤原京(694〜710)、平城京(710〜784)、長岡京(784〜794)、平安京(794〜)と遷都される。その間、聖武天皇によって後期難波宮の造営が開始されて(726)、都に定められたこともあるようだ。その後、桓武天皇の時代に長岡京に遷都するため難波宮は解体、移築(784)、難波宮の廃止(793)。後期難波宮は造営から58年で解体が開始されたことになる。
奈良や京都とともに、大阪もこの時代の中心の一角をなしていたのかあ。知らなかったです。
詳しくは、大阪歴史博物館のサイトをぜひ!→こちら
博物館では、744年に聖武天皇によって難波宮が都とされたときの儀式の様子を再現しています。大極殿という宮殿で、柱も高く、広々した空間で、とても立派、実際に空間で感じられる迫力ありました。


この宮殿が実際に建っていたのは、博物館から見下ろせる難波宮跡公園のある場所。

文献資料では、難波宮があったことは知られていたのだけど、実際の場所がずっと不明だったそう。でも、考古学者の山根徳太郎博士が、1961年(昭和61)にここを発見したとのこと。この方は、大学を1952年に定年退職後、1954年に始まった発掘事業に尽力されての遺構の発見とのことで、本当に信念をもって取り組んでこられて、見つかったとき、見つけたと確信したときは、どんな気持ちだっただろうと想像するだけでドキドキしました。
博物館では、博士の来歴や発掘に関する資料、発見時の新聞記事などもみられます。
中世・近世のフロアでは、信長、秀吉、そして江戸時代。天下の台所と呼ばれて活況を呈した大阪の様子がミニチュアのジオラマモデルなどで楽しめました。展示の地図には、道頓堀などの堀川が東西南北に作られ、たくさんの橋がかかり、蔵屋敷や市場、芝居が楽しめる場所なども見られて、昨日歩いた場所を、昔の人たちも実際行き来して生活していたんだなあと実感。


近代現代フロアは、大正末期から昭和初期の大阪の様子を実物大で再現。当時は「大大阪(ダイオオサカ)」とか、「グレート大阪」と呼ばれていたそう。モダンで最先端をいってたのかなあ。



都市部には地方出身者が集まり、大正期から昭和初期にかけてサラリーマンが台頭してきたとの説明。ニッポンのサラリーマンはこのときから日本を支えてきたのかあ。

祖父や父が生活していた頃の大阪が感じられて、タイムスリップした気分でした。
このあと、大阪港駅まで行って、水族館をみたかったのだけど、混雑につき入館制限中の看板。


あきらめて新大阪駅に行き、新幹線に乗る時間まで駅でぶらぶら。


お土産にミニ餃子の点天。とても美味しかったです。
そして、なぜか八ツ橋や赤福。赤福って…、次の週に伊勢に行くのに!
以上、大阪ひとり旅でした✨
********

